またまたまた札幌へ

  • 午前

両親がいるため、朝早く起きた。あ〜眠い。
朝ごはんを母が作ってくれる・・・なんとすばらしいことなのだ。

  • 帰宅

大学へ行ったのは10:15頃。帰宅したのが、12:00頃である。
父は、先に札幌へいったので、母だけ家に居る。すると母が、早い!!というのだ。確かにさっき出かけたばかりなのかもしれない。(今日の講義は長く感じたのだが)
その後、母と雑談をして札幌へ。

  • 買い物

札幌へ着くと各デパ地下へ。私は牛肉を買ってもらった。(ステーキ用)
その後、母が本屋へ行きたいというので紀伊国屋へ連れて行った。私も在庫確認しにいきたかったので丁度よかったのだが。紀伊国屋へ着くと父から電話が入り、すぐ待ち合わせることになった。母の用はすぐ終わったが、俺の用は・・・。ちなみに母の用とは、私の大嫌いな「細木数の子」の本を買うことだった。あほらしい。財産の無駄である。(この話はあとで父と議論になる)

  • いとこの店

前も書いたが、いとこの店に両親と行ってきた。
両親ともに、いとこに言いたい放題であった。こうした方がいい、ああしたほうがいいと・・・。後日謝っておこう。

  • 食後の議論

丁度食後の満腹感になっているときに、父がチャンネルを変えると細木数の子の番組がやっているではないか。今回は、ある主婦が子供のためを思って、夫の転勤に着いていくか否かを相談するというものだった。(見た時点では)
この相談に、細木は、その主婦だと子供2人はとても見ていられないからついていきなさいと。それで、夫を1人にしておくと浮気すると。そして離婚すると。まとめて、夫についていくと楽で、単身赴任をさせると、主婦が苦になると。
そもそも、主婦ではなく子供のことを考えているのだから論点がズレているのではなかろうかと思った。
その後、細木は、子供には「また新しい友達が出来ていいね。お父さんに感謝しなきゃね。」だとさ。まぁいい。それを小学校高学年になろうと中学生になろうと、ずっとやってろ。まず不良になる。まったくアホな回答。
さらに、肝心なのはココから。
単身赴任にすれば不幸なことばかり、ついていけば幸せばかり。んな馬鹿な、徳川光圀ではないが、楽もあれば苦もあるのだ。確率的に言っても、どっちかにいけば人生楽園なんてない。どっちにしても楽もあれば苦もあるのだ。まさに詐○的なものの言い方で、父と議論になった。
父「細木のいっていることは、結構当たっているらしいぞ?」
私「ほとんどが2分の1の確率で答えている。2分の1はかなり高い確率だ。もし外れたら、まだその時期ではないと言い張り、もみ消すに違いない。(タレントの名前を変えたとき、そのタレントが「まったく売れないですが?」といったところ、「結果が出るのは20年後だ」と言っていた。)さらに、テレビが当たっているものばかり放送しているだけの可能性も高い。なぜなら成功率が高ければ視聴者は注目するからである。結局細木は物事を一端2分の1の確率に置き換えて、その片方に肉付けして、あたかも3分の1、4分の1・・・とみせかけて細かいところまで予測していると思わせているだけなのだ。冷静に考えれば、死ぬとき人間は50対50の幸せと不幸があったと思うだろう。(幸せだったと思う人もなかにはいるが)これは絶対なのである(正規分布に基く)。だから、人生のどこで失敗しようと成功しようと結果は同じなのだ。だから、こっちへ行くと幸せ、あっちへ行くと不幸という馬鹿げた論理は成立しえないのだ。」
 
科学的に考えて、細木数の子の言っていることは、「ハッタリ」なのだと説明した。
 
それだけなら、詐○なんだなで済むが、宗教を持ち出すからアホらしくなる。
宗教を歴史的に探ると、政治統制のための「道具」にしか過ぎない。それが生まれたのは日本では卑弥呼以来である。その古代の技術で今更、人を○マスなんてアホらしくてたまらない。それを興奮したデカイ顔で叫ぶのだからマイル。
さらに、それを本気にしている人がいるのだ。もっとアホかと。
あの番組でも徳光とかいうフリーのアナウンサー?あれはヘンだ。誘導しようとしているのか、本当にいっているかはしらんが、あの場しのぎというか、胡散臭い。
 
最後に一言・・・私はマットウに生きたいものだ。